赤玉でたか。

ヤル気のないタクシー運転手の記録。
(営業区域は、東京都23区・武蔵野市・三鷹市)

犬派ですけど。

我が家は、仕事に精の出ない私、どんどん横に育っていく歳の離れた愛妻
小学2年の息子、幼稚園年少組の娘、


そして、



今年の3月に拾われてきたヤンチャ猫。


それらで構成されております。


いたって平和な我が家ですが、問題があるとすれば、
この猫野郎が、客人と私を受け入れないことでしょうか。



私以外の家族との関係は良好であり、愛妻のことを、真の母親だと
思っているようです。


が、


エサ代を稼ぎ、尚且つそのエサを与え、たまにはトイレの世話すらする
私に対しては、下僕か目の敵扱い。


でも、


猫はずるいんですなぁ。



先日のこと、女房子どもは実家でお泊りで、猫は留守番を余議なくされて
おりました。


明け番で私が帰宅しますと、猫一匹。


ぎゃーぎゃー!しゃーしゃー!


乱暴に訴えます。


「ハラは減るし、トイレはなんやかんやでまみれて、どうもならん!!」
 「お前!! 早うなんとかせい!!」


「気持ちは分かるが、ワシもハラが減ってクタクタである。」
 「しばし待て。」


そして、猫のことなんぞシカトを決め込み、朝の連続テレビ小説を観ながら
朝の晩酌を嗜んでいますと、
そーっと寄ってきて、私の腿にそっと前足を置きます。



しおらしく、


「おなしゃす...」



「よし、ちょっと待っとれ!!」


で、


トイレをきれいにし、エサは大盛りサービス。


なのに、


しばらくすれば、猫にとっての私は今まで通り....



猫ってやつは....



お互い老人になったら仲良くできるかな?^^;

明日は我が身。


済んだことに対して、“タラレバ”を並べても仕方がありません。


この先我々ができること。


「到着」→「支払い」→「合計」→「精算」→「降車」


一連の作業のどこかで、パーキングブレーキ+Pレンジのクセをつけるべき
と考えます。
ですが、私が乗務する担当車は、そうするとアイドリングストップがかかってしまい、
自動ドアが操作できなくなります。
(シートベルトをはずせばエンジンがかかり、自動ドアも操作できます。)
なので、トランクサービスを必要としないときには、ついDレンジのまま
「降車」まで行ってしまうことも多いです。
(裏ワザとして、クラウンだけかも知れませんが、エンジンを始動する前にボンネットを開けて始動すると、アイドリングストップしないそうな。)


特に、都心の幹線道路上での作業となりますと、他の交通への影響や、
すぐに次のお客さんが目の前で待っていたりして、つい基本動作が
疎かになる場面が一日に何度もあります。


でも、


それぞれの平和を守るための作業は、実は難しいことではなく、
落ち着いて、面倒がらずに行うことだと思います。


長くこの仕事を続けるため、我がフリを直せるうちに。


今回の事故で、けがをされた方の一日も早い回復をお祈りいたします。

そして今年も暮れて行く。

12月24日、クリスマスイブ。


レストランに勤めていたころ、いまごろはそりゃもう、
テンテコ舞いの大忙しでございました。


残業代もつかない、いわゆる“名ばかりの管理職”だった私。
今思えば、滑稽な使命感みたいなものを勝手に背負い、
部下に無理をさせ、自己満足に陶酔していた、
最低最悪のリーダーでした。


そんな世界から足を洗い、タクシーの運ちゃんになって早6年。



ヤル気がないので、収入は微減といったところですが、
なんやかんや、メンドくさいことを一切考えなくてもやっていける
この仕事に就いてみて、よかったのか、そうではないのか。


大きな事故を起こさず、大病せず、運転免許証をきれいに保ててさえいれば、
バリバリやるもよし、テキトーに過ごすもよし、課外活動に精を出すもよし、
それぞれのやり方で食いぶちを稼ぎ、家族や自分と向き合う時間が
たっぷりとれるタクドラ稼業も、悪くはないのかもしれませんが...


だからと言って、ひとにすすめられるかどうか。


少なくとも、私が生きている限り、自分の子どもには絶対にやらせません。



私の父も、私が幼いころ、少しの期間タクシーの乗務員をしていました。
その父は、私が高校2年生のときに、自ら命を絶ち、47だか8で死んでしまいました。
父が他界したときの年齢に自分が達したころ、自分に子ができたり、
東北で大地震が起こったり、仕事のことでなんじゃかんじゃあったりして、
今思えば、得体のしれないモヤモヤしたものからの、現実逃避的な手段として、
永年勤めた前の会社を辞めてしまったのかもしれません。


そして、物言わずして旅立った父が、何を思っていたのかを感じるためとも言えますが、
時には現実を突き付けられ、言いようのない敗北感を味わうこともある
タクシー会社に転職しました。


カーナビも、携帯電話もない時代に、移り住んだ土地でタクシーに乗っていた父。


生きていれば、天皇陛下と同じ年頃でございます。


そんなこんなに思いを馳せながら、明日も安全第一。