赤玉でたか。

ヤル気のないタクシー運転手の記録。
(営業区域は、東京都23区・武蔵野市・三鷹市)

そして今年も暮れて行く。

12月24日、クリスマスイブ。


レストランに勤めていたころ、いまごろはそりゃもう、
テンテコ舞いの大忙しでございました。


残業代もつかない、いわゆる“名ばかりの管理職”だった私。
今思えば、滑稽な使命感みたいなものを勝手に背負い、
部下に無理をさせ、自己満足に陶酔していた、
最低最悪のリーダーでした。


そんな世界から足を洗い、タクシーの運ちゃんになって早6年。



ヤル気がないので、収入は微減といったところですが、
なんやかんや、メンドくさいことを一切考えなくてもやっていける
この仕事に就いてみて、よかったのか、そうではないのか。


大きな事故を起こさず、大病せず、運転免許証をきれいに保ててさえいれば、
バリバリやるもよし、テキトーに過ごすもよし、課外活動に精を出すもよし、
それぞれのやり方で食いぶちを稼ぎ、家族や自分と向き合う時間が
たっぷりとれるタクドラ稼業も、悪くはないのかもしれませんが...


だからと言って、ひとにすすめられるかどうか。


少なくとも、私が生きている限り、自分の子どもには絶対にやらせません。



私の父も、私が幼いころ、少しの期間タクシーの乗務員をしていました。
その父は、私が高校2年生のときに、自ら命を絶ち、47だか8で死んでしまいました。
父が他界したときの年齢に自分が達したころ、自分に子ができたり、
東北で大地震が起こったり、仕事のことでなんじゃかんじゃあったりして、
今思えば、得体のしれないモヤモヤしたものからの、現実逃避的な手段として、
永年勤めた前の会社を辞めてしまったのかもしれません。


そして、物言わずして旅立った父が、何を思っていたのかを感じるためとも言えますが、
時には現実を突き付けられ、言いようのない敗北感を味わうこともある
タクシー会社に転職しました。


カーナビも、携帯電話もない時代に、移り住んだ土地でタクシーに乗っていた父。


生きていれば、天皇陛下と同じ年頃でございます。


そんなこんなに思いを馳せながら、明日も安全第一。